ハングタイム・ライターズ
何も見ない日はないのです。何も思わない日はないのです。
何も見ない日はないのです。何も思わない日はないのです。
冬の東北もいいが夏の東北もいいですね。
今年はねぶたを初めて見たので、
その勢いで翌日のドライブ。
まずは近場から田んぼアート。
豪勢に建て替えた町役場にむかう。
展望会場へ上がるは1時間待ちだといこと・・・。
平日の午前中なのに・・・。
日本海側へ向かう。
青森にもブドウの名産地がいくつかある。
ぶどうジュース。ブドウジャム。ブドウ大福。
もちろんワイン。
日本海側は魚がうまい!
昼飯は海鮮丼。地魚定食。
おやつに街道沿いのイカ焼き。
ドライブを堪能して、帰京。
新青森駅に棟方志功の二菩薩釈迦十大弟子
ねぶたで迎えられ、
棟方志功で見送られる。
何という贅沢か・・・。
hittaka@desk
青森ねぶたの興奮冷めやらぬまま、
翌日は五所川原立佞武多(ごしょがわらたちねぷた)へ。
まずは五所川原立佞武多館へ「たちねぷた」の見学と予習を。
で、でかい。
想像以上に、でかい。
大迫力・・・。
館の中に収納されているたちねぷたを
ぐるりぐるりとスロープを下りながら見学できる。
始まりの時間が近づいてくる。
五所川原なんだし、吉幾三でも来てうたわねぇかなぁ・・。
なんて言ってたら、ほんとに来て歌ってました。
7時。号砲とともに囃子が始まる。
立佞武多たちが次々とやってくる。
青森のねぶたは毎年のお披露目され、
練り歩いた後は、いわば使い捨てられてしまう。
一方、五所川原の立佞武多は数年使われるようです。
23メートルの立佞武多。
台車、骨組みは鉄骨作り。19トンを超える重量。
一基1200~1300万ともいわれる立佞武多は
市民の寄付や市の財政で賄われるとの話。
青森ねぶたは山車に「スポンサー感」丸だしでしたが、
こちらはその気配はぐっとおさえられていました。
明治に発展し、徐々に巨大化していった立佞武多は
その後電線の普及で縮小化が余儀なくされ、
2度の大戦による図面や写真の焼失などで、
一度消滅してしまったのだそう。
その後1994年ごろ当時の図面が発見され、
復活を目指す有志が活動を続け、
ついに1998年、80年ぶりに立佞武多葉復活したのだという・・・。
いやぁ、いがったいがった。
9時。終わりを知らせる号砲が鳴る。
戻り囃子に変わり、しずしずと立佞武多達はそれぞれの
基地に戻っていく。
いやぁ、これもまた、いいものを見せていただきました。
hittaka@desk
行ってきました青森ねぶた。
初めての体験です。
新幹線で、新青森駅に。
駅では小ぶりなねぶたが出迎えてくれます。
ねぶたが練り歩く中心街から少し離れた場所に車を止めに。
そのついでにまず、観光物産館「アスパム」の周りに
出番を待つねぶたたちを見学に行きます。
おぉ、
倉庫で待機するねぶたたちに静かな興奮を覚えます。
参加者たちが静かに心の中を燃え上がらせております。
女性ねぶた師の北村麻子さんの作品だ!!
これは、お父さんの北村隆さんの作品!!
7時になって号砲がなって、お囃子が始まる。
ねぶたに明かりが灯ると表情が変わる。
大太鼓のリズムに心が震える。
繰り返されるリズムでトランス状態に入っていく感じ。
「ねぶた」「囃子」「はねと」の三位一体。
囃子は「太鼓」と「笛」と「鐘」の三位一体。
はねとは正装で。という運動は続いている。
でかい太鼓が来た!!
交差点でぐるりとねぶたを回す。
青森ねぶたの掛け声は「ラッセラー ラッセラー」
囃子や掛け声は土地土地で変わる。
北村麻子さんのねぶたにも灯りがともってやってくる。
スズメバチの表現。サスガです。
ヤマト運輸のねぶた、大迫力。
ねぶたは立体造形なので、
360度裏側もしっかりと造形されています。
9時の号砲が鳴って、ねぶたが終わる。
静かなリズムのお囃子にかわり、
ねぶたはそれぞれの基地に戻っていく。
どの祭りも、おわりはどこか物悲しい。ものさびしい。
青森は「ねぶた(NEBUTA)」
弘前や五所川原は「ねぷた(NEPUTA)」
語源は「眠た」にあるというのが有力です。
夏の野良仕事の睡魔を流す行事が始まりという説が有力です。
いやー、いいもの見ました。
hittaka@desk
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