スタッフブログ
地球が回ってる限り、宇宙が膨張し続ける限りHUNG TIME TIMES!
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昨日の続きを少々・・。
ぼくの心の先生であった河村要助さんが
闘病中の現在、先生の作品監理をされているのが
藤田正さん。
ぼくのミュージックマガジン期の先輩、名物編集者。
この時期、藤田さんには随分かわいがってもらいました。
現在はインターネット・マガジン『 BEATS21 』取締役。
大衆音楽・差別の歴史研究講演等々幅広く活躍されています。
ぼくがマガジン入社当時いつも帰りに青山アパートの
おウチにお邪魔して大好きなサルサで宴会していました。
毎日が楽しくて楽しくてしかたがない東京の日々、
宝石のような記憶であります。
*
そんな彼が当時のぼくたちの師匠であった中村とうよう氏の
死に寄せた一文が以下。
同感であります。
死後ぼくの所にも「しのぶ会をやります。ご出席を』案内状が
とどきましたが、その取り巻きの無神経にとても憤慨したものでした。
*
*
音楽評論家・中村とうよう氏の投身自殺に寄せて:
とうようさんが現役バリバリの時に奴隷の一人だった私に言っておられました。亡くなったから「いい人で残念です」みたいな言い草はやめろ、と。
「プロであるなら死んだとしてもきちんと歴史的な評価を加えなくてはならない」とも。
ならば、その御言葉は今、御自身の人生にも当てはめられるべきでしょう。すなわち、とうようさんは、御自分がたいしたことをやってこなかったことを、晩年になって(我々無数の奴隷たちが離れ去った後)、御理解されたのだと私は判断します。たった一人の業績など、ちっぽけなものだという、当たり前のことをです。そして、「とうよう先生!」と媚びへつらう方々は今も何人かはおられるとしても、人はそんな嘘っぱちの権威、かつS&Mな関係に立ってのみ生きてはいけないことにお気づきになれなかった。ずっと、権威の上に居続けようとされておられた。沖縄音楽やラテン音楽の、「俗」の中から生まれ出る素晴らしき大衆性が、実はいかに聖なる輝きを放っているのかがわからなかった。世界各地の大衆音楽の謎解きをされた人物が、まさにその音楽たちの「肝心」から一番に遠かったということを、引退後の毎日、膨大な音楽資料に囲まれながら、お一人でお考えになっておられたのだろうか、と私は思います。
2011年7月22日、藤田正 拝
*
心から尊敬し、心から軽蔑したからこその一文
であると思います。
Internet Magazine
http://www.beats21.com/ar/A11072202.html
「イラストレーター 河村要助:good news」展
2009年5月20日~6月15日 松屋ギンザ「デザインギャラリー1953」
△藤田正プロデュース
今を精一杯に明日を思う。
この言葉が頭の中で響き渡る今日この頃。
井上亀夫 kameo a.k.a. prince of fool's
ぼくがデザイン学校を出て
大阪のデザイン事務所に就職した頃
東京で強烈な個性を発揮している人たちが
3人いらっしゃいました。
後にぼくの師匠となる河村要助さん(東京芸大卒)。
シュールなマグリットのような絵を描かれる
矢吹信彦さん(桑沢研究所卒)。
元祖ヘタウマ(この言い回しも嫌い)湯村輝彦さん(多摩美卒)。
最初矢吹さん湯村さんがY2結成。その後
河村さんが加わり100%スタジオとなったわけです。
この3人、イラストレーターでありながらデザインセンスが
恐ろしく良い。
特に雑誌『流行通信』横尾忠則AD、湯村輝彦デザインの
エディトリアル・デザインは本当に凄かった。
*
彼らに憧れ上京したぼくは思いがかない
河村さんのそばで仕事が出来るようになったのでした。
その当時、イラストレーター、デザイン、編集はまさに花形職業。
優秀な人たちが一杯登場したのでした。
その中で100%スタジオ3方以降群を抜いていたイラストレーターが
デザイナー上がりの安西水丸さん、舟橋全二さんだったと思う。
二人ともとてもおしゃれで、ヘタウマ・イラストの進化系のような
とても洗練されたイラストを描かれていました。
そのお一人、安西水丸さんが先日お亡くなりになりました。
ぼくの激しく熱かった宝石のような時のページがまた一つ閉じられた
思いです。
△安西さんはスノードームの有名なコレクター。
ギャルソンのジャケットがよくお似合いのおしゃれな人でした。
これからはこのようなことを書くことが多くなりそう。
でも、振り返ることなく前を向いて
人生を切磋琢磨、精進、楽しみましょう。
*合唱
追伸・2年前の佐藤晃一さんデレクション
『"伝説のイラストレーター河村要助の真実"展』は
悲しかった・・・。
でも先生は偉大なのには変わりありません。
ぼくのなかでは神です。
いつもの口癖「東京生れじゃないとわからないんじゃないかなー」
ちくりといじめられてた頃がなつかしいです先生。
Today's bgm
井上亀夫 kameo a.k.a. prince of fool's
Today's bgm
菊地雅章 1989年のギグ。
今現在はアコースティックでミニマムなジャズに回帰
されている彼です。
対照的とでも云うような若さ溢れる演奏で
当時新進気鋭の若手ジャズ・ミュージシャンを率いての
クールでファンキーな歴史的にも最高・希少・至宝な
ライブ。
ま、今現在逆行して観ているから云えるのであって
この当時は正に最新のジャズであったわけです。
Masabumi Kikuchi & All Night, All Right, Off White Boogie Band
バンド名もイケイケです。
当時NY在住でその空気をそのまま日本につれてきた
感じがなんともいい。
1975年、電化ファンク・マイルスの洗礼を受けた
菊地雅章が1980年に発表した傑作アルバム
『ススト』の延長線上のライブ。
ファンクのグルーブに完全に詰まれた音の中で
彼のみ最小限の音数とグルーブしない鍵盤で
ファンキージャズを表現。
それがPファンク一派のコテコテのファンクに負けないくらいの
カッコイイサウンドに仕上がっている。
恐るべし菊地雅章。
唯一無二。真の芸術のあるべき姿であります。
井上亀夫 kameo a.k.a. prince of fool's
ぼくの東京時代、最後の事務所は世田谷の
東松原駅前のビルの1階にありました。
その1階にぼくのデザイン事務所・ショップ
「カメオデザインHangtime」がありそのお隣に
小さな洋服の仕立て屋さん「Atelier Van」が
ありました。
そこはこの東松原の主のような女性坂(ばん)さんの
お店。芸術的感覚の人で、ぼくの母親くらいの歳なんですが
いつも精力的。おうちに帰られる時などお店の鍵なんか
あまりかけてなかった。駅前ですよ!
そのゴッドマザーの息子さんがさらに駅に近いところに
事務所を構えられて建築事務所をされていました。
坂茂(ばんしげる)、歳は僕と同じ。
そんなことで彼とは何度も会ってるんですが
会話すらしたことがなかった。
作品の説明等理詰めで行くタイプらしいんですが
ぼくとは接点がなかったのでしょう。
詩人の高橋睦郎宅の紙の書庫、羽根木の森等
革新的な建築をされていました。
そんな彼が先日建築界のノーベル賞(言い回しがいやらしい・・)
ブリッカー賞を受賞されました。
今まで特殊建築は特権階級のもの。
とされてきました。もちろん現在もそうです。莫大なお金が
かかりますから。
そんな法則を打ち砕いたのが正に彼。
神戸震災の紙の協会、
宮城県のコンテナ住宅。
建築家の支援住宅。
21世紀の建築のもう一つのカタチ。
おめでとうございます。
おめでとう坂おばさん。
見習わなければ。
http://www.tozai-as.or.jp/mytech/01/01_ban05.html
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