スタッフブログ

地球が回ってる限り、宇宙が膨張し続ける限りHUNG TIME TIMES!

Tanima K/I

『 姿勢 』

立ち姿でその人のことがわかる。
親の教え。
自身の自覚、努力。
他人を許容することの出来る器。
そして自分自身の考え。
そのすべてが姿勢(立ち姿)に現れる。

僕はすべてがダメなので今現在も矯正中です。


大好きな人のエッセイです。
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 土牛先生のこと

 奥村土牛先生が亡くなられたのは一〇一歳であられました。
 私が土牛先生のモデルをつとめさせていただいたのは、先生がもう
 九〇歳を超えられてからのことだったと思います。
 よく劇場で写生されているお姿は拝見していたのですが、あるとき私を
 描きたいとおっしゃいました。
 モデルになるのは初めてなのですが、四日間というご希望を、喜んで
 お受けいたしました。
 その時にはたいへん緊張いたしましたが、いま振りかえれば私には
 貴重な体験でした。
 ご注文だった『道成寺』の支度をし、合引(舞台裏で出待ちのときなどに
 かける椅子)に座ってお待ちしておりますと、先生はお嬢さんに手を引かれて
 入ってこられました。
 私は衣裳姿ですので軽く会釈をしてご挨拶したのですが、先生は部屋に
 入られるとすぐ、私の前に両手をつかれ、「うまく描くことができないかも
 しれませんが、よろしくお願いいたします」と、しばし頭を下げられたのです。
 明治の彼方から、酸いも甘いもかみ分けていらした画壇の大家が頭を
 下げておられる。
 いくら慌てても、なにしろ、私は衣裳もかつらもつけておりましたから、
 とっさに動くわけにもいかず、当惑しながらご挨拶したわけです。
 印象深かったのは、畳に手をつかれて頭を下げられるその形、姿勢、
 言葉、まわりの雰囲気が、渾然として自然だったことです。
 ポーズを決めるために、いくつかの型をお見せしたのですが、
 『道成寺』の真ん中あたりにでてくる「恋の手習い」のところで、
 「あっ、それ」とおっしゃる。
 それは、道成寺のなかでもいちばん大切なところですから、
 役者にとってはいちばん難しい部分でもありました。
 体をぐっとひねり、舞台では三秒も続かない姿勢で、衣裳は重く、
 一〇分もすればへとへとになってしまうのです。
 もちろん長い伝統のなかで考えぬかれ、作ってこられた決まりの
 形です。
 あっ、それ────なにげなくかけられた声に、私はハッとしました。
 畳に座って写生していらっしゃるのを上からそっと拝見していますと、
 先生の素描は、鉛筆で輪郭をなぞるのではなく、鋭い目で観察され、
 一筆画のように確かな一本の線を引いていくものです。
 「上半身を描かれているときは足を楽にさせていただきます」と申しますと、
 「どうぞ」といわれましたが、踊りは上でも下でもちょっとでも崩せば、
 形が崩れてしまうものです。そのたびに、先生はごしごし線を消して
 描きなおされるので、とても楽になどしてはおられませんでした。  
 休憩をはさんで一日、正味五時間。私は三日でダウンしました。 
 その日の分をおえると、支度を落としたわたしと別室で食事を
 ご一緒しながら、先生はポツポツとお話なさいました。
 「お疲れでしたでしょう、ありがとうございます」
 こんなねぎらいの言葉をかけられ、いろいろなお話をしております
 うちに、絵の話しになりました。
 各分野のなかで、これはという方はなかなかいらっしゃらない
 ものでしてね。画壇のなかでも少のうございます」
 私が、「ではどなたが」と尋ねると、「大観さんですね」と、
 おっしゃいました。私はこの言葉の重さのあまり、次の言葉が
 しばらく出てきませんでした。
 後日、もう少し時間がかかるでしょうか、と伺うと、「もう少し、欲しい」、
 そうお答えになりました。亡くなられたとき、一つの作品に二、三年
 かけることが常であったということを知り、私は恥じ入ったものです。
 静かで、深い作品の味────これは年月を経た重みに違いありま
 せん。私たちも、稽古稽古をつまなければ一瞬のひらめきは出ない
 ということをよく分かってはいるのですが、それを実際に行うことは
 やさしいことではありません。
 味わいのある言葉や素晴らしい絵画にふれると、土牛先生と過ごした
 時を思い出し、また自分自身の仕事における年月も考えます。
 肉体表現者である役者は、年を経ることに誰よりも敏感で、自分の
 肉体を過ぎる時間に熟慮がなければ人を感動させることなどできない、
 と思っています。

 いま一つ一つをかみしめながら、土牛先生が両手をつかれた挨拶の
 形が忘れられないのは、そんな相対する美意識へのあこがれだった
 のかもしれません。
 いま、その素描は淡く色づけされ、額のなかにおさめられています。

               朝日ジャーナル1991年2月1日号坂東玉三郎
               「風の四季 4」より


※アンダーラインはぼくです(特に感銘を受けた箇所)。
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マイケル・ジョーダンなどのスーパー・アスリートに匹敵する位の
レベルで腰で表現することの出来る数少ない人。
日本の、いや世界の宝。坂東玉三郎。

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井上亀夫  kameo a.k.a. prince of fool's