なぜまた急にそんなことを。
と、驚かれたりする。
じぶんでも、ちょっと驚いているくらいだ。
そこに山があるから。というわけではなく、
最初は、単に興味本位。好奇心。小さな冒険心。
信頼のおける山の先達に誘われて、導かれて・・・。
退屈していたわけじゃないけど、退屈しのぎ。
暇ってわけじゃないけど、暇つぶし。
今は・・・、
発展的進歩を求めて・・・。と言えるだろうか。
「初心者」「未経験者」の立場に身を置けば、
つねに昨日よりも上達した自分に出会える。
向上した自分に出会える。
前向きに取り組む自分さえいればの話だが・・・。
欲望が満たされるということに人は喜びを見出すものだとすれば、
知識欲も満たされて、そんなことも副産物の一つと言えるだろうか。
本に書いてあったが、初心者だからといって、
軽い気持ちで登ったからといって、
山も自然も容赦はない。差別はない。
風は吹くし、気温は下がるし、天気は変わるし、日は落ちる。
まったく、油断ならない。
油断している普段の自分に、
油断ならない緊張感を与えに。
刺激を与えに・・・。
無事に帰ってくるか、楽しんで帰ってくるか、
つらい思いをするか、達成感を得られるか、
二度と行きたくないと思うか、また行きたいと思えるか、
すべては自分自身の反映と言える。
「自業自得」がギュッと詰まっている。
「善因善果 悪因悪果」が詰まっている。
無口になって山道を歩くとき、
一人テントの中でシュラフにくるまっているとき、
電波など届かない山のうえで、当然向き合うものは自分自身になる。
暇つぶしの相手は、自分の脳みそになる。
計画を立て、検証し、それを実行し、修正し、目的を達成する。
時間を計算し、整理整頓し、快適を求め、アクシデントに備え、
森羅万象を観察し、自然との、他者との距離と関係をはかる。
さびれていた体を見直す。
怠けていた筋肉や細胞や内臓器官が一体何事かと動き出す。
筋力が足りない。持久力が足りない。注意力が足りない。
辛抱強さが足りない。体幹が弱い。意志が弱い。
PCに向かって一日を過ごしていたときに感じる肩や首のコリがない。
15㌔のザックを背負って7時間歩くほうが、体は快適なのだ。
健常な内臓を取り戻せるか、神経組織を取り戻せるか。
次に山に登る時までに、一段レベルアップした体力を身につけているか。
心肺機能を高めるトレーニングを日常生活の中でするだろうか・・・。
自分自身によって、軽く自分自身が問われている。
2013/10/hittaka@desk